オスロ演説(要点)
オバマ米国大統領のオスロでの演説を、いろいろと、読んでいます。
以前、欧州の陰謀が・・・・、と、このブログでは、書きました。
その欧州の陰謀は、木っ端微塵に吹っ飛び、「オバマの戦争」が、始まるようです。
「陰謀」に乗らずに、「戦争」を、おっぱじめるか。米国内の保守派を、押さえにかかったか。。経済面では、「リーマン・ショック」は、「世界大恐慌」を、超えてしまっていますし、先日の「ドバイ・シィック」の影響も、欧州に直撃した影響が、年明けには、日本にも、出てくるようです。
なにか、明るい話題が欲しいと思う、年末です。
すこし、頭の中を、まとめてから、書きたいと思います。
ノーベル賞授賞式:感謝と謙虚な気持ちで…米大統領演説(毎日新聞)
この名誉を感謝とともに、謙虚な気持ちで賞を受け取る。この賞は、私たちの最も崇高な願いに訴えかける。いかに世界が残虐さや困難に満ちていようと、私たちは運命の捕らわれ人ではない。正義を実現するために行動し、歴史を変えることは可能だ。
しかし、私の受賞が、多くの議論を巻き起こしたことは認めざるをえない。一つには、世界のために私は働き始めたばかりで、何かをなしとげたわけではない。シュバイツァー博士、キング牧師、マーシャル米国務長官、マンデラ南アフリカ大統領ら、過去に受賞した歴史上の巨人たちに比べ、私の実績は小さい。そして正義を追求したために、投獄され暴力を受けた人々が世界中にいる。苦しむ人々のために人道団体で働き、勇気と情熱をもって働く多くの無名の人々がいる。この人たちこそが受賞にふさわしいという議論に、私は反論できない。
最も議論を呼んだのが、私が、二つの戦争を戦う米軍の最高司令官である事実だ。そのうち一つ(イラク)は、終わりに近づいている。一つ(アフガニスタン)は、米国が望んだ戦争ではなかった。しかし自国や仲間がさらなる攻撃にさらされないよう、ノルウェーを含む42カ国が米国とともに戦っている。
何千人もの米国の若者を、遠く離れた戦場に送り込んでいる。彼らの中には殺し、殺される者がいる。私はここに立ちながらも、武力紛争に伴う犠牲を強く意識している。戦争と平和の間の難しい問題で頭はいっぱいだ。
戦争は人類の登場とともにあった。最初は、戦争の倫理性が問われることはなかった。やがて暴力を規制する戦争法規が編み出された。「正義の戦争」という概念が登場した。一定条件のもとでのみ、戦争は正当化されると主張し、最終手段であれば、あるいは自衛目的、そして釣り合いのとれた形で、また可能な限り非戦闘員が暴力にさらされないという限りにおいて正当化されるという概念だ。
歴史上、この概念はめったに実現しなかった。人類は、互いを殺す方法を限りなく考え出した。軍隊同士の戦争は、やがて国家同士の戦争へと発展した。全面戦争で、戦闘員と非戦闘員の区別もあいまいになった。30年の間に2回もこうした戦争がヨーロッパ大陸を覆うことになった。
こうした破壊を経験し、核の時代の到来で、勝者も敗者も次の大戦を防ぐ国際機関が必要だと気付かされた。平和を保つ枠組みを構築するにあたり、米国は指導力を発揮した。マーシャル・プランを実施し、国際連合を創設。戦争を制御する仕組み、人権を擁護する条約や、虐殺を防ぎ、最も危険な兵器を制限する方法を編み出した。
新世紀に入って10年。この枠組みは、新しい脅威の重みで崩れそうになっている。二つの核大国による戦争の可能性におびえることはなくなったが、核拡散は惨事が起きる危険性を高めている。
さらに、国家間の戦争でなく、国家内の戦争が増えた。民族や党派間の紛争、分離独立運動や反政府行動、崩壊国家の存在が、終わりのない混乱に人々を巻き込んでいる。
私は戦争を解決する決定的な答えを持ち合わせていない。正義の戦争という概念と正義の平和の実現について新たな手法を考えなければならない。
まず、我々が生きている間に暴力的な紛争を根絶できないという厳しい現実を認めなければならない。武力行使が時として必要であるばかりか、倫理的にも正当化されることがこれからもある。
キング牧師は、平和賞の式典で次のようなことを述べた。「暴力は恒久的平和をもたらさない。いかなる社会問題も解決しない。より複雑な問題を新たに作り出すだけだ」。私自身、キング牧師の非暴力運動の成果として生まれた人間だ。しかし、私は国家元首として国を守ることを誓った。彼らの規範だけに導かれるわけにはいかない。現実の世界と向き合わなければいけない。
世界には「悪」が存在する。非暴力運動でヒトラーの軍隊を止めることはできなかった。(国際テロ組織)アルカイダの指導者たちに武装解除するよう、説得することはできない。時に武力が必要だと認めることは、歴史を認識することだ。そして人類が不完全であり、理性の限界を知ることだ。
今日、大義の有無にかかわらず、軍事行動を忌み嫌う人々が多くの国にいることから、この点を取り上げた。時にこうした感情は、世界で唯一の軍事大国である米国への不信を伴う。
米国は60年以上、国民が流した血と軍の強さによって国際的な安全を引き受けてきた。制服を着た男女の軍務と犠牲が、ドイツや朝鮮半島の平和と繁栄を後押しし、バルカン半島のような地にも民主主義を実現できた。子や孫への素晴らしい未来を追求したためであり、他国の人の子や孫が自由で繁栄して生きられれば、自分たちの子や孫もより良い生活を送れると信じたからだ。
戦争という手段は実際、平和を維持するために役割を果たしている。しかしこの真実は、いかに正当化されようと、戦争が悲劇を招くという真実と共存しなければならない。兵士の勇気と犠牲は栄光に満ち、国、大義、同僚兵士への献身を表している。しかし戦争自体は決して栄光のものではなく、声高に唱えてはならない。
ケネディ元大統領の「より現実的で、達成可能な平和に集中しよう。それは、人間の性質の突然の進化ではなく、人間の慣行の漸進的な進化に基づくものだ」との言葉を引用したい。
これらの具体的なステップは、まず初めに、強い国も弱い国も同じように、すべての国が武器使用の基準を守ることだ。国を守るために必要な時まで一方的な武力行使は控える。
9・11(米同時多発テロ)を受け、世界は米国の周りに集結し、アフガンでの我々の取り組みを支え続けた。無分別な攻撃の恐怖が、自衛の原則を認識させたからだ。サダム・フセイン(元イラク大統領)がクウェートを侵攻した時、世界は彼と対峙(たいじ)する必要があると感じた。
米国は国際平和への関与を放棄しない。世界の脅威は拡散し、米国一国では行動できない。アフガンでもそうだ。飢えや人的被害に加えテロや海賊の存在するソマリアでもそうだ。悲しいことに、数年は不安定な状態が続くことは確かだ。
米国は、何のルールにも従わない敵と直面しても、戦争遂行の基準を維持しなければならない。それがこれまで戦ってきた敵と米国との違いであり、我々の強さの源だ。だから私は拷問を禁じ、グアンタナモ収容所の閉鎖を命じた。だから私はジュネーブ協定に従うことを再び承認した。
永続的な平和を作るための方法を述べたい。
一つは、ルールや法律を破る国に対処する際は、その行為を変えさせるために、暴力に代わる別の手段を編み出さねばならない。核拡散防止に関しては、原子力を平和利用する、核兵器を持たない国は今後も持たず、核兵器を持つ国は武力解除のために努力する、という条約を結んだ。私はこの条約の維持に決意を持って取り組んでいる。これは私の外交政策の基本だ。
二つ目は、我々の求めている平和の本質だ。平和は目に見える争いがないことだけではない。純粋な平和は個々の人が本当に保持している権利と尊厳に基づいている。これは第二次大戦後の世界人権宣言にもたらされている。もし人権が守られなければ、平和は空虚な約束になる。
私は人々に言論の自由、信仰の自由が保障されず、おびえずに選挙や集会に参加できないところに安定した平和はないと信じる。人々の抑圧された不満や、民族と宗教のアイデンティティーへの抑圧が暴力を生む。米国は民主主義国家と戦争をしたことはなく、私たちの友人たちはみな人権を尊重している。米国の国益も、また世界の利益も人々の自由に向けた希望の否定によってもたらされはしないのだ。
各国の独特な文化や伝統を尊重しつつも、米国は普遍的な希望を叫び続ける。(ミャンマーの)アウンサンスーチー氏のような静かで威厳に満ちた改革者や、暴力を恐れずに投票したジンバブエの国民、イランの街を静かにデモをした数十万人の側の証人となる。これはこうした国々の指導者たちが他国の力よりも、自国民の希望を恐れるということを示している。
これも言わせてほしい。人権の促進は単なるお説教ではない。時には、骨の折れる外交を伴う。抑圧的な体制に対し、手を差し伸べないままに制裁を加えたり、話し合いなしに非難するだけでは、現状維持が続くだけである。いかなる抑圧体制もドアを開くという選択肢がなければ新しい道へと進むことができない。
(中国)文化大革命の恐怖に照らしてみれば、ニクソンが毛沢東と会うことはもってのほかの出来事だった。しかし、中国で数百万人の市民が貧困から抜け出し、開かれた社会との接点を持つ手助けとなったことも確かだ。ローマ法王ヨハネ・パウロ2世のポーランドとのかかわりはカトリック教会だけでなく、ワレサ氏のような労働組合の指導者が活動するための場所を作った。簡単な公式はない。しかし、人権と人間の尊厳を前進させるために、孤立と関与、圧力と動機付けのバランスを取る最大限の努力をしなければならない。
私たちは抑圧がいつも存在することを知りつつ、正義のために奮闘する。人間性には堕落がつきまとうが、それでもなお尊厳のために努力をする。常に戦争は起こるだろうが、平和のために力を注ぐ。
私たちにはできる。これが人類の進歩の物語であり、世界の希望だ。この挑戦の時代に、これこそが、この地上でやるべき仕事なのだ。
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JohnClarkが奮闘したの?
投稿: BlogPetのDomingoChavez | 2009.12.18 14:24