エージェント:ライアン
昨年亡くなったアメリカの作家トム・クランシー原案と言うことですが、ジャックとキャシーの設定以外は、ほぼ作り直しに近い内容です。どうせならば、ケビンコスナーはハーバー役ではなく、ジョン・クラークという工作員役であって欲しかったです。CIAへのリクルート役とういうことから上司が必要ですものね。最後のテロを阻止するシーンは、まあ、あんな感じ?て言いますか、アクションは、ジャック・ライアンじゃないって気がしましたが、ミッション・インポッシブルなエージェント的なんですね。
昨年亡くなったアメリカの作家トム・クランシー原案と言うことですが、ジャックとキャシーの設定以外は、ほぼ作り直しに近い内容です。どうせならば、ケビンコスナーはハーバー役ではなく、ジョン・クラークという工作員役であって欲しかったです。CIAへのリクルート役とういうことから上司が必要ですものね。最後のテロを阻止するシーンは、まあ、あんな感じ?て言いますか、アクションは、ジャック・ライアンじゃないって気がしましたが、ミッション・インポッシブルなエージェント的なんですね。
いってQ登山部の記録
ディカプリオのグレート・ギャツビー(華麗なるギャツビー)
退廃的という部分を、全面的に表現している、特に前半部のパーティの部分は、特筆できる。それゆえの3Dなのでしょう。けれども、それが後半のドラマ部で、気持ちが入っていかない。
いかにもな文学作品なはずなのに、どうして、こうなってしまったの?でも、これが、今の解釈なんだろうなあ。心理描写的な部分が、どうしても、薄く感じてしまったのが、残念。でも、ディカプリオならば、過去に何か隠しているという男が、似合う気がします。べたな恋愛シーンの部分は、おてのものって感じもしました。
ディカプリオの作品は、最近では、地味でも外れが無い、という印象が多かったが、この作品は、派手なので、その類に嵌らない。
F・スコット・フィッツジェラルドの原作は、もう、アメリカの現代、教書作品というものだから、どんなのか、と、思いました。ディカプリオのスーツは、すべて、ブルック・ブラザース、ちなみに、70年代のレッドフォードの時は、ラルフ・ローレンでした。
2002年のギャング・オブ・ニューヨークからの一連の作品も、ここで、小休止?いや、次回作品の製作兼任のウォール・ストリートが、本領発揮だろうか?
ケーブル会社の再点検が、終わりました。
ケーブル会社には未加入ですが、
パススルーしている地上波が、
最近、映像が止まる!ことが、
頻発しているからです。
これも、東京タワーだけのときは、問題ないのですが、
スカイタワーとの並立になってから、悪くなり出しました。
先月の建物点検の後に
不具合が有ったらお客様センターまで!という事だったので、
時々減衰する?からか、映像が途切れる事象が多いからです。
最初は点検員は一人だったけれども、
ありきたりに、TVが悪い!というような、
自己保身に入る(ケーブル会社の下請けなので当然か。。。)
という、説明になりました。
もちろん、料金のことについても。。。。
普通ならば、当然、お金の話になる。
未加入ですからね。
そこで、消費者は泣き寝入りか?
地デジ対応でTVを買ったのに、
3年で買い替えの示唆か?
TVの製造メーカーに、連絡したところで、
現象は、再現せず、お客様の環境です!
と、答えられるのは、明らかです。
パソコンと違って、環境といわれたらねえ。
アンテナとかになるわけで、
堂々巡り、責任のたらい回し。
という具合に不満を言うと
助っ人が二人増加しました。
もっと、高度の測定器も取り出して・・
2時間ほどの対応で、
最終的には、
建物の分配器から電波増量の対応に成功しました!
疲れたあああ。
久々に、DVDで見たので、欧介さんのスピーチを、メモっときます。
え~、突然なので、え~、なにをしゃべったらいいのか。
あ~、そうだ。ファインマンは、、、
物理学者のリチャード・ファインマンはこんな事を言っています。
『数学や物理というのは、神様のやっているチェスを横から眺めて、 そこにどんなルールがあるのか、どんな美しい法則があるのか、探していくことだ。』と。
最初からそんな法則はないと思うことも出来ます。 この宇宙で起こっていることが全て、 でたらめで意味のない出来事の繰り返しばかりだとしたら、 数学者たちは、なにもすることがなくなってしまう。
そんな退屈な宇宙に住んでいること自体、嫌気がさしてしまう。
でも、岡本はチェスの謎を解くことをあきらめませんでした。
おまけに、ゆりさんの様な人と巡り会うことが出来た。
ひょっとしたら、人と人が出会うことも、 そのルールにのっとっているのかも知れません。
もし、そこに何かのルールがなかったら、 二人がどっかで出会っても、そのまますれ違って 関わり合うことも、言葉を交わすこともなかったはずなのに。
宇宙の片隅のこの会場で、僕たちがこうして集まることが出来たのも、 そして、僕たちがこんなにハッピーなのも、 岡本が、たった一人の女性と巡り会ってくれたおかげです。
運命といういちばん難しい謎を、今日、彼が解いてくれたような気がします。
おめでとう。
マット・ディモンの映画は、最近は、内容にかかわらず、見るようにしています。今回の映画は、最初は、なんだろう?という印象です。
三つのお話、群像劇のように、サンフランシスコ、パリ、ロンドンという舞台で平行に進んでいきます。最後には、二人が、ロンドンに集結することで、一つの物語になります。映画を見た後は、ほのぼのろした印象が残りますね。
派手な部分は、最初だけで、淡々と進んでいきます。病気や事故の怪我ということで、後遺症となった人の苦しみを描いているのですが、周囲は、まったくそのことに気が付かず、ということが主題になるようです。同じ苦しみを持つ者同士が惹かれあうという部分なのでしょうね。
また、時間をかけて、一年後なり、数年後に、もう一度、見たくなるような、そんな映画です。
挿入されている音楽は、監督のクリント・イーストウッドのオリジナル楽曲だそうです。
久しぶりにタイゾーさんの写真だ
一目でわかる
http://av.watch.impress.co.jp/docs/ship/dvdupdate/20101019_400924.html?mode=pc
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